So-net無料ブログ作成
検索選択
-| 2014年12月 |2015年01月 ブログトップ

「なるほですね。」の謎 [テレビショッピング]

「なるほどですね。」という返事の仕方が一般的になってもう何年たつだろうか。

何年経っても、やっぱりおかしいで、これ。

「なるほど」というのは、主語が“わたし”なわけである。

“ですね。”というのは、相手に対しての確認につかう。


っちゅうことは、「わたしは、あなたの言ってることについて(なるほど)良くわかりましたか?」ってこれ、吉本新喜劇のネタにあるやん。


ではなんでまた、このようなトボケタ物の言い方がいっぱんの敬語として使われるようになったのであろうか。


これはひとえに、トーカ堂のキタさんの影響が強いのだった。


トーカ堂のキタさんと言えば、テレビショッピング業界で、ジャパネットタカタの向こうをはる一大通販会社。


ジャパネットタカタが、組織力で勝負するなら、方やトーカ堂は、キタさん(たまに息子さん)一人が、八波ヒトシ、奈美悦子あたりの旬を過ぎたのかどうなのか、微妙な立ち位置のタレントふたり相手に空気清浄器や、黒真珠などをスマなさそうに売り込むスタイル。


気になるお値段をいう時、「1万5千8百え~ん(汗)」みたいに、常にスマなさそうに、最後の“円”を“え~ん”とイントネーションを下げて、恐縮して冷汗を拭き拭きと言う感じで発表するわけである。


すまなさそうなキタさんは、「~というカタチになっております」であるとか、実に奇妙な物言いを編み出している。


遠まわしに言わなくていいところを、無理くり遠まわしに言うみたいな。


「なるほどですね」ってのも、スマなさそうにしなけりゃならないキタさんが、断定口調を絶対に避けたいというか、テレビの視聴者にこれでもかというぐらいに媚びへつらうにはどうすれば良いのか?という日ごろの研究成果によって生み出されたのだった。

ウソ
スポンサーリンク

タグ:トーカ堂

謎のおふくろ [母親]

映画は、5~6歳のころからよく両親に連れられて観に行った。子


どものためというより、両親の娯楽に一人息子の私が付き合わされた感がある、いま振り返って思うに。


両親の映画好きについては、酷い話を聞いたことがある。


わたしが生まれる前のこと、親父とおふくろが自転車二人乗りで、いきつけにしている近所の映画館へ向かう途中、おふくろが荷台から落っこちた。それで打ち所が悪かったらしくて、流産してしまったらしい。


もちろん、流産させられたのはわたしではない。


今現在、こうして呑気にブログなんか書いてるもんね(笑)


わたしの兄か、あるいは姉にあたる人が、おっちょこちょいの母親が、無謀にも妊娠何か月目かの大事な身体にもかかわらず、荷台にまたがって嬉しそうに映画見物なんぞに行こうとした結果、残念ながらこの世に現れてくる権利を抹消されてしまったわけである。


そのおかげで、わたしは一人息子の長男という非常に収まりの悪い地位で生まれざるを得なかったのだ。


このように、結構シリアスな内容の話を、わたしが誰から聞いたのかというと、おふくろその人からだった。



しかも、なんかの拍子に、「ちょっと思い出したんやけど」的な軽いノリで。


まったく、おふくろの能天気さには呆れる。


わたしは一人息子なわけだが、60近い今になってもおふくろがどのような人間だったのか、いまいち把握していないのだった。


能天気のバカなのか、肝が据わっているのか、冷酷な人なのか、ひょっとして他人だったりして(笑)


なんてことを書いてるうちに、もうこんな時間になってしまった。


映画のことについてアレコレ書こうとしていたのに、いきなり話が脱線して「謎のおふくろ」という一文が出来てしまったではないか!


まあ、これはこれで俺って才能あると思うなぁ。


2013年2月24日に亡くなったおふくろ(享年81歳)に合唱して、今日のブログはおしまいでござりまする。
スポンサーリンク

タグ:母親

恋とバカは同じ。 [恋考]

『何にもなかったら、こんな苦しい思いをしないで済んだのに!』

この心の叫び、いったいどういう状況で出てくるか、あなたがすぐに察しが付くと言われるなら、たぶんあなたは熱愛中だった異性とうまくいってないのでは?

つまり、『何にもなかったら』というのは、具体的に言うと、『貴女(または貴方)と出会うことさえなかったら』という意味に置き換えられますし、『こんな苦しい思いをしないで済んだのに!』というのは、つまり、なんらかの理由で会いたくても簡単には会えない、あるいはフラれてしまったという、『セツナイ切なくて堪らない!』という気持ちを表したつもりなんです。“

恋い焦がれる”と言いますが、恋愛感情以外で“恋い焦がれる”対象ってあるでしょうか。

こういう問いかけをすると、「俺は仕事に恋してる」であるとか「わたしはコスプレが命なの」であるとか、つまり対象が人間以外の仕事、趣味、世界征服、宇宙侵略などなどに広げる方がいらっしゃいます。

しかし、そのどれも、“恋い焦がれる”という感覚とはいささか異なるもんじゃないでしょうかねぇ。

この感覚を、今この場で書けって言われても書けないです。

そりゃそうですよ、だって恋愛をモチーフに過去から現在に至るまで、数多ある偉大な頭脳の方たちが総出で、文学、心理学、哲学などの分野で考えて考えつくしてきてるんですもの。

それでもいまだに“恋い焦がれる”という落ち着かないことこの上ない気持ちの処方箋などないと言い切れますからね。

処方箋があるとすれば、それは「時間」ぐらいなもんじゃないでしょうか。

でも、時間が経ったらそりゃ元の恋人への“恋い焦がれる”気持ちは薄れるかもしれないけれども、新たな“恋い焦がれる”対象が出てきたりしてね。

結局、恋とバカは死ぬまで治らないってことでしょうか。

お後がよろしいようで。
スポンサーリンク

タグ:恋愛

「人生は娯楽だ?」についての小生の考え

さてさて、俺が日本に名だたる長大企業の中間管理職だったころの話の続きです。


詳しい舞台設定については前回ご説明したとおり。


場所は、100人もの人間が右往左往する大部屋の一角。


時は2006年の年の瀬も押し詰まった12月第一週の木曜日。


まだ仕事納めには早すぎる、とはいえ年内に片づけなくて名ならない仕事が山積で残ってるのに、あと3週間でなんとかしなくちゃならない。


ましてや隣の中国部は、工場進出の歴史が浅く、さらに販売イベントも目白押し、年末にもかかわらず、中国部のまるまる1グループなぞは、総勢12名が(女子の一般社員も総動員で)上海に10日も出張るぐらいのまさしく沸点。


ルーティンワーク総責任者の室長も、額に血管浮き上がらせての大車輪。


そんな中、入社2年目の川村クンって男がいたんですが、イケメンなんだけど覇気がない。


ってか、派遣の若い女子社員からも何かにつけて「川村クンってば(怒)。もういい!わたしがやります!」などと、叱られる始末。


傍で見ていて『それはいくらなんでも気の毒じゃないか。そんな言い方しなくても・・・』とは思うものの、川村クンは俺の部下ではないし、でも隣り合わせの島にいるので、嫌でも川村クンの動向は毎日手に取るように俺の目に入ってくる。


川村クンにとっては、そんな絶望的な(たぶん)会社生活のある日、「オイ!川村!ちょっと来い!」と、室長の怒鳴り声。


覇気のない川村クン、ますます萎縮しちゃって、青白い顔して室長の席にフラフラと行く姿は風前の灯の如く。


何について叱られているのか、聞くともなしに聞こえてくる内容を聞いてたら、『なるほど、そりゃ叱られても仕方が無かろう』な内容。


でも、川村クンを叱責している室長は癇癪持ちだけれども、反面部下思いの優しい男。


叱りながらも、川村クンを指導しつつ、書類の間違っている部分を丁寧に説明しながら片っ端から訂正しています。


で、またたく間に川村クンの下手な企画書が筋の通った内容に仕上がり、室長が何やらボソボソとジョークを飛ばしたようで、周囲の女の子がゲラゲラ笑いだしています。


さきほどまで川村クンを叱る勢いに周囲もシュンとしていたので、女の子の笑い声を聞いて、俺もホッとしましたよ。


川村クンの室長が、どんなジョークを言ったのかは聞き逃したんですが、周囲の皆が笑い終わったあとに大声で「ええか、川村。たかが仕事や。怖がることあれへん。仕事は娯楽や。オモロがってやれ」と言い放ちました。


『なるほど、そうだよな。』傍で聞いてた俺が納得しちゃいましたよ。


幸い、川村クンも納得したようで、その後の彼は、相変わらず覇気のない雰囲気はに激的な変化はなかったものの、派遣社員に叱れることもなく、逆にちゃんと指示をしてテキパキ仕事をこなす男に変貌していきました。


ってことで、仕事を人生を同列に語るのが適当なのかどうか微妙ですが、人生を神様仏様からいただいた仕事だと考えた場合、「人生は娯楽だ」と捕えたら、ちょっとは前向きに自信を持って生きていけるのではないかなと思うわけです。



ということで、長くなりましたが、挨拶代わりに5話にわたって綴った小生の人生考をこれにて終了する次第。



タグ:会社の風景

「人生は娯楽である」と思い立った原点の会話 [人生考]

昔サラリーマンだったころ、隣の部の室長と部下の若者の会話が記憶に残ってるので紹介しておきたいと思います。


まず舞台設定を説明しておくと、俺の勤めていた会社はメーカーとしては日本一企業で、世界の何チャラと呼ばれてる大会社。


ただ、会社の本尊は三河、つまり信長や、秀吉、家康など、当時は田舎侍と揶揄されたような御仁を輩出した愛知のド田舎なので、社内の雰囲気は一言でいえばドロ臭い。


渋谷などにあるベンチャーIT企業のオフィスなどの方がよっぽど洗練された「カッコイイ」雰囲気なんだよね。


というのも、今を時めく大企業なのに、ワンフロアに100人ぐらいが、衝立もないフロアでガヤガヤやってるなんて30年前の会社風景ですよ。


もう勘弁してよってほど暑苦しいわけ。


もちろん室長、部長も個室を与えられるわけではなく、部員と同じ大部屋の一角に席がある。


ちなみに部員から一段上っぽい“ひな壇”に席が配置されているのは部長だけで、室長、課長以下は部員と同じ席の固まり(島)に席がある。


だからパッと見、誰が偉くて誰がヒラなのか分からない。


そんな中で、「オーイ!○○クン、ちょっと来い!」であるとか、「なぁ、○○ちゃん、今夜空いてる?」などなど、騒々しいことこの上ない。


さて、ワンフロア100人となると、二つの部署が同じフロアに隣り合わせでいる場合もある。


水道橋にある東京本社の5Fも2部署が隣り合わせで入っていました。


一つがアジア部。ここに俺は所属していたんだけど、隣の部署が中国部だったわけ。


で、俺の席の島の隣の島から、中国部となっている。とまあ、そのような舞台背景で、いったいどんな会話が俺の記憶に残っているのかを次回にお話ししましょう。


タグ:会社の風景

自分を客観視してみたら? [人生考]

前回は、「人生、浮き沈みが合った方が面白いんではなかろうか?」と書きましたが、「俺の人生、沈みっぱなしだったぞ!バカヤロー!」などという気の毒な御仁も中にはいらっしゃる。


こんなことを書いてる俺だって、最高に浮いたときでも水面下2メートルぐらいで、たいていは水面下100メートルぐらい。ついぞ水上に浮き上がることがなかったように思います。


まあ、まだしばらく人生が続きそうなんで、これからどうなるかは分かんないけどね。


う~ん、そろそろまとめてみないと次に進まないな。


結局のところ、沈みっぱなしの場合であれば、「ああ、俺はずっと沈みっぱなしなんだ。ところで浮くってどんな気分なの?」と考えてみたらどうだろうって話なんだけど。


つまり、自分の置かれている境遇をいつでも第三者の視点で眺めることが出来れば、かなり楽になるんじゃないかなと、拙い哲学思考をしてみたわけです。


たとえば、誰かに理不尽な目に合されたとしましょう。


当然のごとく腹が立ち怒り狂う場面。


そのとき感情の赴くままに怒り狂っても良いんです。


ただ怒り狂って暴れてる最中でも、頭のどこかで


「あ!俺いまこいつに腹を立てて金属バットで頭をかち割ってる。俺って凶暴なやつだなぁ、危ない危ない」


とかね。



そんなふうに、いつでも自分を客観視できるようになったら、なんだかちょっと面白くない?と思うんですけど。


でも、そこまで自分を客観視できるんなら、金属バットで人の脳天を殴りつけたりはしないですわね。


浮き沈みがある方が退屈しないんでは? [人生考]

さはさりとて、「人生は苦しみの連続である」なんて断言してしまうと、今現在はとくに苦しくもないにもかかわらず、なんだかドンヨリ暗い気分になってしまって、もう真昼間からヤケ酒を呷りたい気分になってしまってよろしくない。


じゃあ、「人生は楽しくもなければ、苦しくもない。あるがままである。」などと安手の新興宗教の教祖みたいな解釈をするのも気が進まない。味気が無いじゃないですか、「あるがまま」なんてさ。


「あるがまま」って、そもそもなんだか病院食みたいな。あ!病院にやむを得ず入院してる人は、味気ない病院食をしっかり食べて治療に専念してもらわなくちゃ困りますが、そういう意味じゃなくって、「あるがまま」の人生というのは、70ぐらいになったときに「山も谷もな~んにもない平凡な人生だったよなぁ」みたいな。


平凡を悪いとは思わないけど、平凡という言葉の前に付く「山も谷もな~んもない」という修飾語がイヤなんだよね。


ジェットコースターみたいに起伏があり過ぎる人生ってのは、アドレナリン出っ放しで別の意味でしんどそうだけど、やっぱり浮いたり沈んだりと、いろいろあった方が70くらいになったときに「我が人生」ってやつを眺め渡した時に楽しいんではないかと、そんなふうに思うわけです。


人生は娯楽だ? [人生考]

タイトルの「人生は娯楽だ?」末尾に「!」とビックリマークっての?エクスプラネーションマークだったけ、まあいいや。


もとい!


タイトルの末尾に「!」をつけずに、「?」としたのは、本当のところは人生って娯楽なんだろうか?という一抹の疑問が残ってるからなんだよね。


赤ちゃんが生まれるときに「オギャー!」と泣いて出てくるのは、これからの人生の艱難辛苦を予感して、「イヤだいやだ!お母ちゃんのお腹の中に戻りたいんだよう」というプロテストの叫びだっていうことを、どこかの偉い哲学者だったか宗教学者だったかの解説を読んだことがある。


その時は、「なるほど!そうか!」と膝を叩いて納得したもんだった。


それで、自分自身が50数年生きてきてですねぇ(←いきなり会話口調)、人生は極楽なんだよ~!と言えるかってぇと(←いきなりの落語口調)、これが全然だったんですよね旦那(←いきなりの・・・止めとこ)。

そりゃまあ、「愉快だなあ」とか「美味しいなあ」とか、「気持ちイイ~(ラブ)」などなど、楽しい思い出はあれこれあるんだけれども、それ以上に「クッソー!」であるとか「ギャー!恥ずかしい!」であるとかですね、もう思い出すのもイヤな辛い出来事の方が鮮明で、楽しい思い出の何十倍もあったように記憶してるんだよね。


あ!まずい!


こんなことを書いてて、またひとるヤな事を思い出しまった。今回はこれまでってことで。



-|2014年12月 |2015年01月 ブログトップ