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酒の飲み過ぎで、 [人生考]

体型が太ったというより、むしろ上半身が膨れたという感じが、ちょっと新鮮で嬉しかったりはしないまでも、今後、トレーニングによってメリハリのある体型に戻った時に、写真に撮った今の状態を眺めて、ウィスキーを舐めながらほくそ笑んでみたいというか、ウィスキーを舐めながらカッコつけてるのは最初の2秒ぐらいで、結果がぶ飲みしながら、ゲラゲラ笑うことになると思うが、そういう状態になったら、もはや自分の体型の変化を嗤うという最初目的をすっかり忘れてしまって、もう人生全体が可笑しくて仕方がないという哲学的な状況に陥り、挙句の果てに、延々と飲み続けて、1週間後には、またもや上半身が膨れたみっともない体型に逆戻りしていて、風俗の女子に汚いものを見るような目つきで見放された、チャンチャンということは過去に何度も経験済みなので、その程度のことでは全く動じないのである。ところで、

ところで以下>>


旨塩えんどう [人生考]

夜の8時過ぎに唐突に思い立って「ちょっと外出する」と出て行った。

1月の中旬に。寒いのに。

女房も「なんでだ?」的な表情を浮かべてはいたが、俺はいつも思った時に思ったことをする男なのである。

たとえ女房子供が俺の膝にすがりついて泣こうが喚こうが、外出するといったら外出する。

それが昭和の男の生き様というものである。

不器用ですから。

さて、いざ外に出てみると『寒い!』。

ポケットには小銭で568円。

これじゃ、ふらりという感じで焼き鳥「鳥味」にも行けやしない。

そんなこんなで、というか、そんなこんなも、どんなこんなもあったもんじゃないが、鳥味を通り越してセブンイレブンに行き、”酢いか”を買った。

なんで”酢いか”かというと、おつまみに”酢いか”が合うから。

で、まだ金銭的に余裕があったので、”旨塩えんどう”ってのを買った。

これ美味しいな。安いし。

また明日買おう。

てかお母さんに買ってきてもらお←バカおやじ

「人生は娯楽である」と思い立った原点の会話 [人生考]

昔サラリーマンだったころ、隣の部の室長と部下の若者の会話が記憶に残ってるので紹介しておきたいと思います。


まず舞台設定を説明しておくと、俺の勤めていた会社はメーカーとしては日本一企業で、世界の何チャラと呼ばれてる大会社。


ただ、会社の本尊は三河、つまり信長や、秀吉、家康など、当時は田舎侍と揶揄されたような御仁を輩出した愛知のド田舎なので、社内の雰囲気は一言でいえばドロ臭い。


渋谷などにあるベンチャーIT企業のオフィスなどの方がよっぽど洗練された「カッコイイ」雰囲気なんだよね。


というのも、今を時めく大企業なのに、ワンフロアに100人ぐらいが、衝立もないフロアでガヤガヤやってるなんて30年前の会社風景ですよ。


もう勘弁してよってほど暑苦しいわけ。


もちろん室長、部長も個室を与えられるわけではなく、部員と同じ大部屋の一角に席がある。


ちなみに部員から一段上っぽい“ひな壇”に席が配置されているのは部長だけで、室長、課長以下は部員と同じ席の固まり(島)に席がある。


だからパッと見、誰が偉くて誰がヒラなのか分からない。


そんな中で、「オーイ!○○クン、ちょっと来い!」であるとか、「なぁ、○○ちゃん、今夜空いてる?」などなど、騒々しいことこの上ない。


さて、ワンフロア100人となると、二つの部署が同じフロアに隣り合わせでいる場合もある。


水道橋にある東京本社の5Fも2部署が隣り合わせで入っていました。


一つがアジア部。ここに俺は所属していたんだけど、隣の部署が中国部だったわけ。


で、俺の席の島の隣の島から、中国部となっている。とまあ、そのような舞台背景で、いったいどんな会話が俺の記憶に残っているのかを次回にお話ししましょう。


タグ:会社の風景

自分を客観視してみたら? [人生考]

前回は、「人生、浮き沈みが合った方が面白いんではなかろうか?」と書きましたが、「俺の人生、沈みっぱなしだったぞ!バカヤロー!」などという気の毒な御仁も中にはいらっしゃる。


こんなことを書いてる俺だって、最高に浮いたときでも水面下2メートルぐらいで、たいていは水面下100メートルぐらい。ついぞ水上に浮き上がることがなかったように思います。


まあ、まだしばらく人生が続きそうなんで、これからどうなるかは分かんないけどね。


う~ん、そろそろまとめてみないと次に進まないな。


結局のところ、沈みっぱなしの場合であれば、「ああ、俺はずっと沈みっぱなしなんだ。ところで浮くってどんな気分なの?」と考えてみたらどうだろうって話なんだけど。


つまり、自分の置かれている境遇をいつでも第三者の視点で眺めることが出来れば、かなり楽になるんじゃないかなと、拙い哲学思考をしてみたわけです。


たとえば、誰かに理不尽な目に合されたとしましょう。


当然のごとく腹が立ち怒り狂う場面。


そのとき感情の赴くままに怒り狂っても良いんです。


ただ怒り狂って暴れてる最中でも、頭のどこかで


「あ!俺いまこいつに腹を立てて金属バットで頭をかち割ってる。俺って凶暴なやつだなぁ、危ない危ない」


とかね。



そんなふうに、いつでも自分を客観視できるようになったら、なんだかちょっと面白くない?と思うんですけど。


でも、そこまで自分を客観視できるんなら、金属バットで人の脳天を殴りつけたりはしないですわね。


浮き沈みがある方が退屈しないんでは? [人生考]

さはさりとて、「人生は苦しみの連続である」なんて断言してしまうと、今現在はとくに苦しくもないにもかかわらず、なんだかドンヨリ暗い気分になってしまって、もう真昼間からヤケ酒を呷りたい気分になってしまってよろしくない。


じゃあ、「人生は楽しくもなければ、苦しくもない。あるがままである。」などと安手の新興宗教の教祖みたいな解釈をするのも気が進まない。味気が無いじゃないですか、「あるがまま」なんてさ。


「あるがまま」って、そもそもなんだか病院食みたいな。あ!病院にやむを得ず入院してる人は、味気ない病院食をしっかり食べて治療に専念してもらわなくちゃ困りますが、そういう意味じゃなくって、「あるがまま」の人生というのは、70ぐらいになったときに「山も谷もな~んにもない平凡な人生だったよなぁ」みたいな。


平凡を悪いとは思わないけど、平凡という言葉の前に付く「山も谷もな~んもない」という修飾語がイヤなんだよね。


ジェットコースターみたいに起伏があり過ぎる人生ってのは、アドレナリン出っ放しで別の意味でしんどそうだけど、やっぱり浮いたり沈んだりと、いろいろあった方が70くらいになったときに「我が人生」ってやつを眺め渡した時に楽しいんではないかと、そんなふうに思うわけです。


人生は娯楽だ? [人生考]

タイトルの「人生は娯楽だ?」末尾に「!」とビックリマークっての?エクスプラネーションマークだったけ、まあいいや。


もとい!


タイトルの末尾に「!」をつけずに、「?」としたのは、本当のところは人生って娯楽なんだろうか?という一抹の疑問が残ってるからなんだよね。


赤ちゃんが生まれるときに「オギャー!」と泣いて出てくるのは、これからの人生の艱難辛苦を予感して、「イヤだいやだ!お母ちゃんのお腹の中に戻りたいんだよう」というプロテストの叫びだっていうことを、どこかの偉い哲学者だったか宗教学者だったかの解説を読んだことがある。


その時は、「なるほど!そうか!」と膝を叩いて納得したもんだった。


それで、自分自身が50数年生きてきてですねぇ(←いきなり会話口調)、人生は極楽なんだよ~!と言えるかってぇと(←いきなりの落語口調)、これが全然だったんですよね旦那(←いきなりの・・・止めとこ)。

そりゃまあ、「愉快だなあ」とか「美味しいなあ」とか、「気持ちイイ~(ラブ)」などなど、楽しい思い出はあれこれあるんだけれども、それ以上に「クッソー!」であるとか「ギャー!恥ずかしい!」であるとかですね、もう思い出すのもイヤな辛い出来事の方が鮮明で、楽しい思い出の何十倍もあったように記憶してるんだよね。


あ!まずい!


こんなことを書いてて、またひとるヤな事を思い出しまった。今回はこれまでってことで。


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